これじゃ戦地に行く前に死んでしまう😢【連続テレビ小説】あんぱん 第11週「軍隊は大きらい、だけど」(51)
これじゃ戦地に行く前に死んでしまう
こんにちは
猫好き父さんです
軍隊生活
厳しいですね
これじゃ
八木上等兵が言う通りかも
しれませんね😢
画像は公式からの引用ですあらすじ
嵩(北村匠海)は高知連隊から福岡の小倉連隊に転属。新兵教育係の馬場(板橋駿谷)ら先輩兵士の厳しい指導の下で過酷な軍生活が始まり、ここでやっていけるのかと暗い気持ちになる嵩。その中で、嵩の世話係である八木上等兵(妻夫木聡)だけは厳しいながらも決して殴らず、古兵たちとも一線を引いていた。八木は嵩に軍事勅諭を暗記するよう命じる。そんなある日、嵩は先輩の戦闘帽を盗んだ容疑をかけられる。
出演
【出演】今田美桜,北村匠海,奥野瑛太,櫻井健人,薄平広樹,日高由起刀,板橋駿谷,萩原亮介,妻夫木聡,松嶋菜々子
【作】中園ミホ
日本陸軍の高知連隊について
日本陸軍の高知連隊は、主に歩兵第44連隊を指し、高知県にゆかりの深い部隊でした。旧日本陸軍の常設師団の一つである第11師団に属し、郷土部隊として地域住民に深く認識されていました。
歩兵第44連隊の概要
編成: 歩兵第44連隊は、明治時代に編成された部隊で、その衛戍地(えいじゅち:平時の駐屯地)は高知県高知市に置かれていました。そのため、地元高知県出身者が多く入隊し、郷土部隊としての意識が非常に高かったとされます。
所属師団: 第11師団(善通寺師団)に属していました。第11師団は、香川県善通寺市に司令部を置く四国地方の常設師団で、歩兵第12連隊(丸亀)、歩兵第22連隊(松山)、歩兵第43連隊(徳島)、そして歩兵第44連隊(高知)の4つの歩兵連隊で構成されていました。
主な歴史と活動
歩兵第44連隊は、その編成から解隊までの間、日本の主要な戦争の多くに参加しました。
日露戦争(1904年~1905年):
第11師団の一員として動員され、満州(現在の中国東北部)方面の激戦に参加しました。特に、旅順攻囲戦や奉天会戦など、多くの激しい戦闘を経験しました。
シベリア出兵(1918年~1922年):
第一次世界大戦後のロシア革命に伴うシベリア出兵にも参加し、ロシア極東地域での治安維持活動などを行いました。
日中戦争(1937年~):
盧溝橋事件を契機に始まった日中戦争では、中国大陸各地を転戦しました。南京戦や徐州会戦など、大規模な作戦に参加し、多くの犠牲者を出しました。
太平洋戦争(1941年~1945年):
太平洋戦争が始まると、第11師団は主に南方方面へと派遣されることはなく、国内の警備や訓練に従事する期間が長かったとされます。しかし、戦争末期には本土決戦に備え、四国での防衛体制強化のために展開していました。
解隊とその後
第二次世界大戦の日本の敗戦に伴い、日本陸軍は解体され、歩兵第44連隊も他の部隊と同様に1945年(昭和20年)に解隊されました。
高知連隊の兵士たちは、故郷高知県の出身者が多く、その活躍や犠牲は地元で長く記憶され、関連する慰霊碑や資料などが残されています。彼らの歴史は、高知県の近代史の一部として語り継がれています。
日本陸軍連隊の標準的な1日と食生活
日本陸軍の連隊における兵士たちの生活は、平時と戦時、国内と戦地によって大きく異なりましたが、ここでは比較的安定した平時の駐屯地生活と、一般的な食生活についてご紹介します。
兵営(へいえい)における標準的な1日(平時)
平時の兵営生活は、厳格な規律と規則正しい訓練が中心でした。
午前5時~6時頃:起床
起床ラッパの合図で起床。
身支度、洗面、寝具の整理。
点呼(人員確認と服装点検)。
午前6時~7時頃:朝食
連隊食堂で食事。食後は各自食器の片付け。
午前7時~正午頃:午前中の訓練
部隊訓練(行軍、隊形訓練、銃剣術、射撃訓練など)。
兵科別訓練(歩兵、砲兵、工兵など、それぞれの専門訓練)。
精神教育(軍人勅諭の奉読、訓話など)。
体力練成(体操、運動)。
正午:昼食
連隊食堂で食事。
午後1時~4時頃:午後の訓練・作業
午前の訓練の続きや、兵営内の清掃、整備作業など。
内務班での私物手入れ、裁縫なども行われる。
午後4時~5時頃:入浴・自由時間(日によって異なる)
入浴は毎日ではなく、指定された日に行われることが多かった。
手紙を書いたり、売店で買い物をしたり、同期と談笑したりする時間。
午後5時~6時頃:夕食
連隊食堂で食事。
午後6時~9時頃:内務作業・自習・訓話
翌日の準備、上官からの訓話、個人自習(読書など)。
下士官や古参兵から新兵への指導が行われる時間でもあった。
午後9時~10時頃:消灯・就寝
消灯ラッパの合図で消灯。
※備考:週末には外出が許可されたり、休養日が設けられたりすることもありました。また、演習や特別訓練がある場合は、このルーティンは大きく変わります。
食生活(平時)
兵士の食生活は、軍隊という組織の中で栄養と健康を維持するために、ある程度の基準が設けられていました。しかし、質や量は時代や部隊、配属場所によって異なりました。
主食:
基本は米飯。特に精白米が支給され、食糧事情が厳しい時期以外は十分な量が供給された。
麦や雑穀が混ぜられることもあったが、特に陸軍では白米が重視された。
副食(おかず):
味噌汁: 毎食のように提供される基本的な汁物。
漬物: 塩分補給や保存食として重要で、多様な漬物が提供された。
煮物・炒め物: 肉(牛肉、豚肉)、魚、野菜(大根、芋類、葉物など)を使った煮物や炒め物が提供された。肉類は比較的少量だったが、軍隊ではタンパク源として重視された。
魚: 干物や缶詰、漁港に近い場合は新鮮な魚も提供された。
飲み物:
基本的に水やお茶。
栄養とカロリー:
兵士には、重労働や訓練に耐えうるだけの十分なカロリーと栄養を摂取させることが重視されました。当時の日本の一般家庭と比較すると、質・量ともに恵まれていた時期もあったとされます。
戦時中の食生活
戦地での食生活は、補給状況によって大きく変動しました。
劣悪な状況:
補給が途絶えたり、戦闘が激化したりすると、食糧は極端に不足しました。
携帯口糧(乾パン、圧縮飯など)が配給されるが、それも尽きると、現地の食料を調達したり、時には飢餓に苦しんだりすることもあった。
マラリアや赤痢などの病気と、栄養失調が兵士を苦しめた。
レーション(携帯食):
遠征や戦闘時には、乾パン、缶詰、乾燥野菜、金米糖(こんぺいとう)などが支給された。
加熱するための器具や燃料が不足することも多く、冷たいまま食べることが多かった。
兵士の食生活は、彼らの体力と士気を維持する上で極めて重要であり、軍の補給体制の優劣が戦局を左右する一因ともなりました。
🏃♀️#きょうのあんぱん🖌
— 朝ドラ「あんぱん」公式 (@asadora_nhk) June 9, 2025
軍隊の一日は、起床ラッパから始まります。
午前中は教練。昼食の後、学科または教練。
厳しい訓練のあと、夕食の準備でも怒られる嵩。
「僕、ここでやっていけるかな……」#北村匠海 #板橋駿谷 #妻夫木聡#朝ドラあんぱん 見逃し配信中📱https://t.co/6SCLUurPRY pic.twitter.com/QE5TzcqMvx