蔦重たまには人の意見にも耳を傾けないとね👂べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(37)地獄に京伝
蔦重たまには人の意見にも耳を傾けないとね
こんにちは
猫好き父さんです
蔦重はひたすら
突っ走ってきたから
周りを良く見ることが
できなくなってしまったのかも
誰かが止めるというよりも
時代が止めてしまうんでしょうねえ
あらすじ
春町(岡山天音)が自害し、喜三二(尾美としのり)が去り、政演(古川雄大)も執筆を躊躇する。その頃、歌麿(染谷将太)は栃木の商人から肉筆画の依頼を受け、その喜びをきよ(藤間爽子)に報告する。一方、定信(井上祐貴)は棄捐令、中洲の取り壊し、大奥への倹約を実行する。その煽りを受けた吉原のため、蔦重(横浜流星)は政演、歌麿に新たな仕事を依頼するが、てい(橋本愛)がその企画に反論する。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,藤間爽子,井上祐貴,高岡早紀,風間俊介,生田斗真,高橋克実,高橋英樹,中川翼,林家正蔵,正名僕蔵,伊藤淳史,山路和弘,望海風斗,安達祐実,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
**肉筆画(にくひつが)**とは、印刷や複製ではなく、作者本人が直接、筆を使って紙や絹などの支持体に描いた絵画作品を指す美術用語です。特に日本の美術史において、大量生産された版画作品と区別するために用いられます。
肉筆画は「肉筆」という言葉が示す通り、絵師の**「生身の筆致」や「魂(こころ)」が込められた、この世に一点しかない貴重な作品**とされます。
1. 肉筆画の定義と版画との違い
肉筆画は、主に江戸時代の浮世絵の分野で、版画作品(浮世絵版画、錦絵など)と対比される形で使われることが多い言葉です。そのため、「肉筆浮世絵(にくひつうきよえ)」というジャンルで呼ばれます。
特徴 | 肉筆画(肉筆浮世絵) | 版画(浮世絵版画・錦絵) |
制作方法 | 絵師が直接絹や紙に筆で描く。 | 絵師(原画)・彫師・摺師の分業で制作する。 |
希少性 | 一点もの。オーダーメイドが主で非常に高価。 | 大量生産が可能で、庶民も手に入れやすい安価な商品。 |
表現の自由度 | 絵師の個性が強く反映され、筆の勢いや繊細な色調を自由に表現できる。 | 彫りや摺りの技術に左右され、検閲などの制約を受けることもあった。 |
主な題材 | 注文主の要望に応じた美人画、掛軸、屏風絵など。 | 流行の役者、遊女、名所風景、物語絵など、大衆向けのもの。 |
2. 肉筆浮世絵の歴史と意義
🎨 浮世絵の原点
浮世絵は、そもそも菱川師宣の**『見返り美人図』など、絵師が直接描く肉筆画**から始まりました。その後、木版技術の発展により版画が主流となり、安価で大量に流通するようになります。
✍️ 絵師の真価
版画が「チーム制作」であるのに対し、肉筆画は絵師個人の画力がストレートに表れるため、絵師の技量や芸術性を最もよく示す作品群とされます。葛飾北斎や喜多川歌麿、歌川広重といった著名な浮世絵師の多くは、版画制作の傍ら、富裕層や大名などからの依頼を受けて肉筆画も制作しました。
🖼️ 画材の工夫
肉筆画では、版画では困難な細やかな表現や画材の工夫が見られます。
美人画の肌には、貝殻を砕いた白い絵の具である**胡粉(ごふん)**を何度も重ね、みずみずしい質感を出すといった技法が用いられました。
肉筆画は版画に比べて公開の機会が少なく、知る人ぞ知る名品が多いですが、その筆のタッチや色彩の微妙なニュアンスは、版画とは一味違う浮世絵の魅力を伝えています。
棄捐令(きえんれい)とは、江戸時代に幕府が財政難に陥った旗本・御家人といった幕臣を救済するために発した法令です。彼らの借金の帳消し(棄捐)や低利での年賦償還を、債権者である**札差(ふださし)**に対して一方的に命じたものです。
「棄捐」という言葉は、借金を「捨てて帳消しにする」ことを意味します。実質的には、武士の借金を帳消しにする徳政令(とくせいれい)の一種として機能しました。
棄捐令の概要と歴史
棄捐令は、江戸三大改革のうち、寛政の改革と天保の改革の二度、主要な政策として発令されました。
1. 寛政の棄捐令(1789年)
発令者: 老中 松平定信(まつだいら さだのぶ)
目的: 旗本・御家人の窮乏を救い、幕府の権威を回復し、不正を生まない経済基盤を整えること。
内容:
天明4年(1784年)以前の札差に対する借金は、元金・利子ともにすべて棒引き(棄捐)。
それ以後の借金は、年利を6%に引き下げ、**長期の年賦(分割払い)**で返済させる。
今後の法定利率も、従来の18%から12%に引き下げられた。
影響: 札差は莫大な損失を被りましたが、幕府は「猿屋町貸金会所」を新設して札差に低利の公金を貸し付け、経営を統制下に置くことで、金融市場の混乱を抑えようとしました。
2. 天保の棄捐令(無利子年賦返済令)(1843年)
発令者: 老中 水野忠邦(みずの ただくに)
目的: 再び深刻化した旗本・御家人の借財問題を解決すること。
内容:
借金をすべて無利子とし、**年賦(分割払い)**での返済を命じた。
影響: 札差はさらに大きな打撃を受けました。彼らは借金が返ってこないリスクを恐れ、旗本・御家人への新たな貸し出しを厳しく制限・停止したため、武士の生活はかえって苦しくなり、経済政策としては失敗に終わりました。
札差(ふださし)とは
棄捐令の債権者となった札差は、江戸の商人の中でも特殊な役割を担っていました。
役割: 旗本や御家人が幕府から米(蔵米・切米)で支給される給与(俸禄)を、彼らに代わって蔵から受け取り、現金に換えて渡す(出納する)ことを請け負っていた業者です。
金融業: 俸禄の換金だけでなく、武士の生活費が尽きると、その俸禄を担保に高利の金銭を貸し付けていました。武士が借金地獄に陥る主要な原因でした。
棄捐令は、武士の窮状を救うための緊急措置でしたが、商業資本の財産権を幕府の権力で一方的に侵害したものであり、長期的には札差の経営を不安定にし、結果として武士の金融を停滞させるという副作用も生じました。
江戸の中洲(なかず/なかす)は、現在の東京都中央区日本橋中洲付近にあった、隅田川の中に人工的に築かれた幻の歓楽街・納涼地です。
これは、同じく歓楽街として有名な福岡市の中洲(那珂川と博多川に挟まれた地域)とは異なります。
1. 江戸の中洲の歴史と特徴
🏗️ 誕生と繁栄(明和・天明期)
時期: 江戸時代中期の明和8年(1771年)頃から、隅田川(当時は大川と呼ばれた)の河口付近の浅瀬(洲)を埋め立てて造成されました。
名称: 当時、隅田川の分流点に位置していたため、俗に**三ツ俣(みつまた)**とも呼ばれました。
繁栄: 造成後、中洲新地(なかずしんち)として、芝居小屋、茶屋、料亭、見世物小屋などが立ち並ぶ江戸有数の大歓楽街となり、両国を超えるほどの賑わいを見せました。特に夏には夕涼みの名所として人気を博し、多くの浮世絵にも描かれています。
🚨 突然の撤去(寛政の改革)
時期: わずか20年足らずの繁栄の後、寛政元年(1789年)に発令された寛政の改革の一環として、老中松平定信の命により、町ごと強制的に取り壊し・撤去されました。
理由: 幕府は、中洲が隅田川の水害に影響を及ぼすこと(治水上の問題)や、風紀の乱れの温床になっていることを問題視したためです。
その後: 取り壊された中洲は再び浅瀬に戻り、葦(よし)の生える湿地帯となりました。このため「幻の歓楽街」と呼ばれることがあります。
2. その後の再開発(明治以降)
撤去から約100年後の明治時代に入ると、再びこの地は埋め立てられ、中洲河岸が成立し、中洲町(現在の日本橋中洲)となりました。
真砂座の開座: 明治26年(1893年)に真砂座という劇場が開設されると、周囲に料亭や待合(芸妓の手配などをする店)が集まり、再び娯楽街として賑わいを取り戻しました。真砂座は、夏目漱石の『吾輩は猫デアル』が演劇化されたことでも知られています。
現在の姿: その後、大正期には衰退し、周辺の川(箱崎川など)も埋め立てられたため、現在は完全に地続きとなり、中央区日本橋中洲としてオフィスビルやマンションが立ち並ぶ静かなビジネス・住宅街となっています。
**鈴木越後(すずきえちご)は、江戸時代に煉羊羹(ねりようかん)**の名品で知られた、幕府御用菓子司を務めた最高級の菓子店です。
その羊羹は同時代の文献で高い評価を得ており、当時の「江戸の華 名物商人ひやうばん」という番付表では、料理屋も含めた美味いものの最高位である西の大関にランクされていました。
鈴木越後の羊羹の特徴と評価
1. 幻の超高級品
鈴木越後の羊羹は、当時の最高級品・贅沢品として知られていました。
高価さ: 当時の文献には、現在の価値に換算して1棹約50,000円にも相当する超高級品であったという記述が残っています。
素材: 希少であった上白糖を贅沢に使っていたため、庶民が口にできる品ではありませんでした。
品質: そのきめ細やかさや上品な味は他店の追随を許さず、同じく幕府御用達であった金沢丹後(かなざわたんご)の羊羹でさえ、鈴木越後のものと比べると「ようかん麁し(あらし、粗い)」と指摘されるほどだったという逸話が残っています。
2. 煉羊羹か蒸羊羹か
一般的に、寒天を使った煉羊羹が江戸時代中期の寛政年間(1789〜1801年)頃に江戸の日本橋で登場したとされています。鈴木越後の名声は煉羊羹によるものと考えられていますが、当時の文献には「旧に依って羊羹天下に鳴る」という記述もあり、伝統的な蒸羊羹で名を馳せた可能性も示唆されています。
3. 明治維新後の廃業
鈴木越後の本店は江戸(日本橋)にありましたが、明治維新後に廃業しました。理由としては、経営が破綻したという説や、時代の変化により町菓子屋に転じることを潔しとしなかった、など諸説あります。
鈴木越後の伝統を受け継ぐ店
鈴木越後の直系の店は廃業しましたが、その製法と伝統を受け継ぐ和菓子店が存在します。
鈴木亭(すずきてい):慶応2年(1866年)創業の富山県の和菓子店です。
初代の岩城茂助は、江戸の鈴木越後で15年間修業し、「鈴木」の姓と「鈴木亭」の屋号、商紋を賜り、故郷の富山で開業しました。
鈴木亭の代表銘菓**『杢目羊羹(もくめようかん)』は、鈴木越後の流れを汲む生粋の江戸煉羊羹**の伝統的な製法を基に、富山県の県木である立山杉の年輪を模した独自の意匠を加えて生み出されたものです。
この羊羹は現在もその製法が一子相伝で守られており、「幻の江戸羊羹」の伝統を伝える貴重な存在となっています。
徳川将軍の「大御所」と「太上天皇」
1. 尊号一件(そんごういっけん)
事件の概要: 寛政年間(1789年頃)、第119代光格天皇は、自分の実父である閑院宮典仁(すけひと)親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしました。
幕府の反対: これに対し、老中松平定信は「天皇の実父であっても皇位に就いていない者に太上天皇の尊号を贈るのは前例に反する」として強硬に反対し、朝廷と幕府の間で大きな紛議となりました。
2. 政治的背景
松平定信が強く反対した背景の一つには、徳川将軍家の事情が関係していたと言われています。
大御所をめぐる思惑: 当時の第11代将軍**徳川家斉(いえなり)は、自分の実父である一橋治済(ひとつばしはるさだ)**を江戸城西の丸に迎え入れ、将軍を辞した後ではないにもかかわらず、大御所の称号を与えて政治に介入させようという計画がありました。
定信の警戒: 松平定信は、天皇が実父に「太上天皇」の尊号を贈ることが前例となれば、将軍家でも「大御所」として実父が権力を振るうことを正当化する先例になってしまうと警戒し、朝廷の尊号贈与を拒否することで、将軍家の動きも牽制しようとしたとされています。
このように、徳川将軍に太上天皇の称号が贈られようとしたわけではありませんが、朝廷の「太上天皇」の称号を巡る動きが、徳川将軍家内部の権力構造に影響を及ぼすことを幕府が恐れる、という複雑な政治的緊張が存在しました。
本居宣長(もとおり のりなが)
本居宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代中期から後期にかけての国学者(こくがくしゃ)、文献学者、歌人、そして医師です。日本の古典研究、特に**『古事記』**の研究に生涯を捧げ、国学を大成した人物として知られています。
主な生涯と背景
出身と職業: 伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の裕福な木綿商の家に生まれる。家業を継ぐことには向かず、京都へ出て医学を学び、帰郷後は町医者として生計を立てました。
学問の開始: 医業の傍ら、古典研究に没頭し、儒学や歌学を学びました。
賀茂真淵との出会い: 宝暦13年(1763年)、江戸の国学者である賀茂真淵(かものまぶち)と松坂で一度だけ面会し(「松坂の一夜」)、『古事記』研究に取り組むよう激励を受け、入門しました。この出会いが宣長の学問の方向性を決定づけました。
書斎「鈴屋(すずのや)」: 自宅の二階に作った書斎を「鈴屋」と名付け、多くの門人を集めて講義や歌会を行いました。
決定的な業績
1. 『古事記伝(こじきでん)』の完成
宣長の最大の業績は、日本最古の歴史書『古事記』全編にわたる注釈書**『古事記伝』**(全44巻)を完成させたことです。
期間: 執筆に着手してから完成までに35年という歳月を費やした大著です。
意義: 当時、難解でほとんど読まれていなかった『古事記』を、儒教や仏教などの外国思想の影響を排し、古代の言語(上代語)と文献考証に基づいた独自の帰納的方法論で解読しました。
国学の確立: この研究を通じて、宣長は日本の古代の精神や文化を明らかにしようとする**「国学」**を大成し、「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。
2. 「もののあわれ」の発見
宣長は、日本文学の本質を論じた文学論も展開しました。
『源氏物語』研究: 『源氏物語』の研究書**『紫文要領(しぶんようりょう)』などで、その本質を登場人物の感情や、それに対する作者の「もののあわれを知る」**感性にあると説きました。
文芸観: 「もののあわれ」という概念は、日本の豊かな情緒や美意識を表現するものであり、日本文学研究に大きな影響を与えました。
3. 日本語学・言語研究
『古事記伝』の研究過程で、宣長は日本語の構造や文法についても重要な発見をしています。
上代語研究: 古代日本語の音韻や文法を体系的に整理し、後の日本語学の基礎を築きました。
文法: 助詞・助動詞である**「てにをは」**の働きに関する考察など、日本語の特性を科学的に分析しました。
思想と後世への影響
宣長の学問は、中国の儒学・仏教といった外来の思想を批判し、日本の古代のあり方を理想とする復古的な思想を確立しました。
純日本的な思想: 古典の記述をありのままに受け入れ、人間が作為的に作り出した道理や道徳よりも、「古道(こどう)」、すなわち神代から伝わる**「まことの道」**を重視しました。
政治的な影響: 宣長の思想は、後の幕末の世において、尊王思想(天皇を尊ぶ思想)と結びつき、多くの門人を通じて尊王攘夷運動や明治維新にも間接的に大きな影響を与えることになりました。
傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)
**『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』は、江戸時代後期の代表的な洒落本(しゃれぼん)の傑作です。戯作者の山東京伝(さんとう きょうでん)**が作・画を手がけ、寛政2年(1790年)に刊行されました。
「傾城買」は遊女を買うこと、「四十八手」は相撲の決まり手(技)になぞらえ、遊里(吉原などの遊郭)における**男女の駆け引きや色恋の技巧(手管)**を、会話体と巧みな描写で細かく描き出した作品です。
🎭 作品の特徴と内容
1. 洒落本の最高傑作の一つ
洒落本は、遊里の風俗や粋な会話を**「うがち(穿ち)」**という滑稽な観察眼で写実的に描くことを基本とする江戸の文学ジャンルです。『傾城買四十八手』は、その中でも京伝の鋭い人間観察と写実的な筆致が遺憾なく発揮された代表作とされています。
2. 「四十八手」の内訳
この作品では、相撲の四十八手にちなんで遊女と客のさまざまな交渉を「手」に分けて描いています。物語は、遊郭の座敷での客と遊女の会話が中心となり、以下の4つの場面(または5つの「手」)に分けられます。
しっぽりとした手: 本気の恋に落ちてしまった遊女と客の、情愛のこもったやり取り。
やすい手(安手): お金と時間の節約を優先し、手早く遊ぼうとする客と遊女の、どこか醒めたやり取り。
見ぬかれた手: 遊女が客の手管(口説き方や技巧)を冷静に見抜いている状況のやり取り。
真(しん)の手: 遊女と客が、建前ではなく本心で向き合う、あるいは本気の愛情がある状況のやり取り。
(※資料によっては「そはそはする手」が含まれる場合もありますが、本文がないタイトルだけの記述であることもあります。)
3. 写実的な描写と心理描写
京伝は、吉原の大見世(格式の高い遊女屋)から小見世(格下の遊女屋)に至るまで、客の職業や身分、遊女の地位や性格に応じて、会話や振る舞いの違いを精緻に描き分けました。特に、男女の心理描写に踏み込んでいる点が評価され、従来の洒落本にはない、後の文学に影響を与える要素を持つとされます。
時代的背景
この作品が刊行された寛政2年(1790年)は、老中松平定信による寛政の改革の真っ只中でした。
幕府は風俗の取り締まりを強化し、洒落本や黄表紙といった戯作(げさく)への規制を厳しくしていました。
京伝は、この『傾城買四十八手』を刊行した翌年、他の洒落本(『仕懸文庫』など)の出版により、手鎖50日の刑という重い処分を受けました。
この一件以降、京伝は遊里を直接的に扱う洒落本から、道徳的な黄表紙(例:『心学早染草』)や、歴史的な読本へと作風を移すことになりました。そのため、『傾城買四十八手』は、洒落本というジャンルの最盛期を飾ると同時に、その終焉を象徴する傑作としても位置づけられています。
心学早染草(しんがくはやそめくさ)
『心学早染草(しんがくはやそめくさ)』は、江戸時代中期に刊行された黄表紙(きびょうし)と呼ばれる大衆小説(絵本)の傑作であり、当時の流行思想である心学を題材にした教訓的な滑稽本です。
「心学がすぐにわかるよ」という意味合いのタイトルで、当時のベストセラーとなりました。
📚 作品の概要
項目 | 詳細 |
ジャンル | 黄表紙(江戸時代後期の大人向け絵本形式の小説) |
著者 | 山東京伝(さんとう きょうでん) |
絵師 | 北尾政美(きたお まさよし) |
刊行年 | 寛政2年(1790年) |
巻数 | 上・中・下 3巻 |
主題 | **石門心学(せきもんしんがく)**の教え(道徳) |
💡 内容と特徴:「善玉」「悪玉」の誕生
この作品の最大の特徴は、人間の心の中の葛藤を、具体的なキャラクターとして視覚的に表現した点にあります。
1. 善魂(ぜんだましい)と悪魂(あくだましい)
人間の行為が、すべて心の中にある**「善魂(ぜんだましい/善玉)」と「悪魂(あくだましい/悪玉)」**の働きによるものとして描かれます。
善魂(善玉):
丸い姿をしており、人に良い行いをさせようとします。
悪魂(悪玉):
天帝によって体への侵入を阻止された歪んだ魂たちとして登場し、人の心を「悪」で満たそうと悪巧みをします。
**「善玉」「悪玉」**という言葉は、この作品から生まれ、世間に広まった流行語となり、後の小説や演劇にも広く模倣されました。
2. 物語の筋立て
物語は、江戸の裕福な商家に生まれた息子の**理太郎(りたろう)**を中心に展開します。
理太郎が生まれる際、天帝の計らいで善魂が体内に入り、理太郎は利口で親孝行な評判の息子に育ちます。
しかし、成長するにつれて悪魂が理太郎の心に付け入り、遊興にふけらせて破滅へと導こうとします。
最終的に、理太郎は心学の教えによって改心し、律儀な人間に戻り、めでたしめでたし、という教訓的な結末を迎えます。
3. 時代の背景と流行
本作品が刊行された寛政2年(1790年)は、老中・松平定信による寛政の改革が行われていた時期と重なります。
改革の風潮の中で、幕府は黄表紙などの風俗を乱す出版物への規制を強めていました。
京伝は、風刺や遊里描写が主だった黄表紙の世界に、当時の社会で大流行していた中沢道二(なかざわ どうに)らの石門心学という道徳的な教えを題材として取り入れました。
これにより、教訓物として社会的な要請に応えつつ、京伝らしい滑稽な趣向を取り入れたことで、この作品は当時の読者層に広く受け入れられ、異例の大ヒット作となりました。
#大河べらぼう
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) September 28, 2025
第37回「地獄に京伝」は夜8時から!
配信は👉https://t.co/IW6FOpEZJR
放送中は、ドラマの設定や用語を解説する #べらぼうナビ を投稿しています。
物語に集中したい方は放送後にまとめてチェックしてみてください🙏#横浜流星 #染谷将太 #橋本愛 #井上祐貴 #生田斗真 pic.twitter.com/IsSWi6WwXq
前回までのべらぼう
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ□べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(36)鸚鵡(おうむ)のけりは鴨(かも)
歌麿良かったね💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(35)間違凧文武二道
粛清は厳しい😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(34)ありがた山とかたじけ茄子(なすび)
今の国会議員も江戸城の侍と同じで無能🍙べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~33 打壊演太女功徳(うちこわしえんためのくどく)
令和に打ちこわしが起きてもおかしくない🍙べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(32)新之助の義
また殺されちゃった?徳川家治毒殺説😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(31)我が名は天
ウルトラマンタイガ世直しに光臨(o|o)べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(30)人まね歌麿
劇団蔦重が総出演でお送りする仇討物語🌸べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~29 江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)
向こうは血花にさかすぞちらちらそわか👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(28)佐野世直大明神
なぜ佐野は刀を抜いたのか!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(27)願わくば花の下にて春死なん
天明の米高騰と令和の米高騰🍚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(26)三人の女
江戸の町民は浅間山の大噴火にどのように対応したのか?🌋べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(25)灰の雨降る日本橋
マジレッドとトッキュウ4号の相談に割って入る真咲美希💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(24)げにつれなきは日本橋
蔦重、日本橋に出る!って言ってた💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(23)我こそは江戸一利者なり
おならってウケるネタなんですねえ💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(22)小生、酒上不埒(さけのうえのふらち)にて
大文字屋市兵衛って死ぬ必要あったの?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~21 蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)
徳川家治の将軍後継者問題🏯べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(20)寝惚(ぼ)けて候
黄金コンビ最後の仕事📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(19)鱗(うろこ)の置き土産
おかえり唐丸👧べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(18)歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢
田沼意次の功績🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(17)乱れ咲き往来の桜
平賀源内と田沼意次の関係、その生涯と功績⚡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)
浜離宮恩賜庭園における鷹狩の歴史について🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(15)死を呼ぶ手袋
ありがたやまの鳶烏🐥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(14)蔦重瀬川夫婦道中
あ~、言ってしまった😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(13)お江戸揺るがす座頭金
これは面白そう!📹100カメ べらぼう 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
蔦重が輝いて見える🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(12)俄(にわか)なる『明月余情』
観劇の喜びと運命の悲しさ二つの涙🍆べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(11)富本、仁義の馬面
吉原は成り上がるための地獄👰べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(10)『青楼美人』の見る夢は
べらぼうトークショー 大河ドラマ“べらぼう”スペシャルトークin横浜
きっとわっちは一生忘れないよ😢べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(9)玉菊燈籠恋の地獄
バーカ、バカバカバカ!バカ蔦重🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(8)逆襲の『金々先生』
吉原のために、熱いぜ蔦重🔥べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(7)好機到来『籬(まがき)の花』
鬼平うまいこと言うねえ?👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(6)鱗(うろこ)剥がれた『節用集』
きっと生きているよね唐丸🦊べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(5)「蔦(つた)に唐丸因果の蔓(つる)」
負けるな蔦重!😡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(4)『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)
上手くリードしないとしゃべってくれないかも🌠土スタ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』特集▽ゲスト 横浜流星📺1/25 (土) 13:50 ~ 14:50
先が読めない面白さがある、横浜流星さんも新鮮📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(3)千客万来『一目千本』
人間関係がよくわからない📚べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(2)吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』
禰󠄀豆子を背負った炭治郎みたいだ👹べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ [新](1)「ありがた山の寒がらす」📚1/5 (日) 20:00 ~ 21:00