人足寄場ってあそこだったのか!💛べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(38)地本問屋仲間事之始
人足寄場ってあそこだったのか!
こんにちは
猫好き父さんです
なんか
だんだん
怪しい展開になってきました
石川島人足寄場跡って
丁度、「わたしのお嫁くん」ロケ地になってて
あれ?このパターン前にもあったような。。。
あらすじ
蔦重(横浜流星)は、歌麿(染谷将太)のもとを訪ねると、体調を崩し、寝込むきよ(藤間爽子)の姿があった…。そんな中、蔦重は鶴屋(風間俊介)のはからいで、口論の末、けんか別れした政演(京伝)(古川雄大)と再び会うが…。一方、定信(井上祐貴)は平蔵(中村隼人)を呼び、昇進をちらつかせ、人足寄場を作るよう命じる。さらに定信は、改革の手を緩めず、学問や思想に厳しい目を向け、出版統制を行う。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,中村隼人,藤間爽子,高岡早紀,風間俊介,井上祐貴,片岡愛之助,高橋克実,中川翼,山路和弘,望海風斗,かたせ梨乃,橋本淳,又吉直樹,古川雄大,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
人足寄場(にんそくよせば)は、江戸時代中期に江戸幕府が設置した、無宿人や引取人のいない刑期満了者を収容し、職業訓練を通じて更生・社会復帰を支援した施設です。
当時としては画期的な、刑罰ではなく更生を目的とした自立支援施設として知られています。
🏛️ 人足寄場の概要と目的
1. 設置の経緯と人物
人足寄場は、寛政の改革の一環として設置されました。
時期: 寛政2年(1790年)
設置場所: 江戸湾の石川島(現在の東京都中央区佃・月島付近)
提唱者: 火付盗賊改方長官の長谷川宣以(はせがわのぶため)、通称「鬼平(おにへい)」。
主導者: 老中**松平定信(まつだいらさだのぶ)**が長谷川の献策を認め、設置を決定しました。
2. 設置の目的
飢饉や天災が続き、江戸に流れ込む無宿者(住所不定の浮浪者)が激増し、彼らが犯罪に走ることが社会問題となっていました。人足寄場の目的は以下の通りです。
犯罪の防止: 浮浪者や刑期を終えた人々を収容し、彼らが再び犯罪に転落するのを防ぐ。
社会復帰支援(更生): 彼らに手に職をつけさせ、労働で得た賃金を貯めさせ、釈放後に正業につけるための資金(軍資金)を持たせる。
労働力の活用: 寄場の人足(収容者)を土木工事などの作業にも従事させることで、公儀の仕事に活用する。
3. 収容の対象
主に以下の人々が収容されました。
無宿人: 江戸で捕らえられた無宿者(無罪の者も含む)。
刑余者(けいよしゃ): 刑罰を終えた者の中で、身元引受人がいないために戸籍に戻れない者(主に入墨や**敲(たたき)**の刑を受けた者)。
💼 施設での生活と制度
人足寄場は、単なる収容所ではなく、社会復帰を目指した独自の制度を持っていました。
1. 職業訓練
収容された人足には、以下のような多様な職業訓練が施されました。
手仕事: 大工、建具、塗物(ぬりもの)、桶作りなど、手に職をつけるための技術指導。
作業: 施設の建設・整備、竹橋にある勘定所(役所)の文書整理、公儀の土木作業など。
2. 賃金と釈放
人足寄場での労働は刑罰ではなく、仕事と見なされました。
賃金の支給: 仕事には賃金が支給され、一定額が貯蓄されました。
釈放の条件: 収容年数が決まっているわけではなく、貯蓄額が一定水準に達するか、身元引受人が見つかればいつでも釈放されました。釈放時には、貯めた賃金が**「軍資金」**として渡されました。
3. 教育(心学)
人足寄場では、社会復帰に向けて精神的な更生も重視されました。
心学の導入: 休日などには、当時の庶民向けに心の持ちようを説いた**心学(しんがく)**の学者が招かれ、人足に教え諭す時間が設けられました。
4. 運営費用
人足寄場の運営は当初から予算が厳しく、長谷川平蔵は資金確保に苦心しました。平蔵は幕府の許可を得て、**銭相場(貨幣の投機取引)**を行い、その利益を運営費に充てていたという逸話も残っています。
人足寄場はその後も存続し、明治維新によって廃止されるまで、江戸時代の更生施設として大きな役割を果たしました。
江戸時代の出版業者、いわゆる「本屋」は、現代の出版社・印刷所・書店・問屋の機能を兼ね備えた複合的な存在でした。彼らは単なる本を売る店ではなく、江戸の文化を創造し、流通させる中心的な役割を果たしていました。
📚 江戸時代の出版業者の種類
江戸時代の出版業者は、主に扱う本の種類によって、大きく二つに分けられていました。
1. 書物問屋(しょもつとんや)
扱う本: 学術的で硬派な書籍が中心。
具体例: 仏教書、歴史書、医学書、漢籍(中国古典)、辞書(字引き)、教養書、暦、地誌(地理の本)など。
特徴:
古くから京都や大坂(上方)で発展した流れを汲んでいます。
江戸では本屋仲間という同業組合(株仲間)を結成し、幕府の保護のもとで安定した商売を行っていました。
2. 地本問屋(じほんどんや)
扱う本: 娯楽的で庶民向けの書籍や出版物が中心。
具体例: 草双紙(くさぞうし)、黄表紙(きびょうし)、洒落本(しゃれぼん)、人情本、狂歌絵本、浮世絵、歌舞伎の絵本、細見(地図案内書)、瓦版(かわらばん)など。
特徴:
「地本」とは、京・大坂に対して「その土地(江戸)でできた出版物」という意味です。
店頭には浮世絵などが飾られ、庶民が多く利用する、派手でにぎやかな店が多かったとされます。
寛政の改革(1790年)で公認されるまでは、書物問屋のような株仲間がなく、比較的自由で、新しい文化を生み出す土壌となりました。**蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)**は、この地本問屋の代表的な存在です。
🛠️ 出版業者の役割と仕組み
江戸時代の出版業者は、現代の出版業界における様々な工程を一手に引き受けていました。
1. 企画・編集(板元/版元)
現代の出版社にあたります。彼らが資金を出し、企画を立て、戯作者(作家)や絵師に依頼して原稿を完成させます。
2. 製版・印刷
本の原本となる文字や絵を裏返して木に彫る板木屋(はんぎや)、そしてその板木を使って紙に刷る摺師(すりし)といった専門職人がいましたが、その費用を版元が持ち、事実上の印刷・製本の監督も行いました。
3. 流通・販売(問屋・小売)
**出版と販売(小売)**を兼業している店がほとんどでした。
自店で出版した本を他の本屋に卸す問屋機能も持っていました。
また、本は高価だったので、庶民は貸本屋から借りて読むのが一般的でした。貸本屋は、版元と読者の間をつなぐ重要な流通経路であり、「仲人」のような役割も果たしていました。
4. 株仲間と板株(いたかぶ)
株仲間: 書物問屋や地本問屋は同業者組合(株仲間)を結成し、営業を独占する代わりに、幕府に税金(運上・冥加金)を納めました。
板株: 一度出版された本の**「板木(はんぎ)」の所有権は、その本の出版権を意味しました。この板株は財産として扱われ、本屋仲間の市場で売買され、出版権の移動が保証されていました。複数の本屋が共同で出版権を持つ「相合板(あいあいはん)」**という仕組みも存在しました。
江戸時代の出版業者は、こうした複雑で独自の仕組みによって、世界でも類を見ないほど豊かな庶民文化を花開かせました。
幽霊譚(ゆうれいだん)は、日本において古くから語り継がれてきた物語であり、特に江戸時代に歌舞伎や文学、美術などの形で庶民文化として大きく花開きました。
現代に伝わる「日本の幽霊」のイメージや、その中心となる三大怪談は、この江戸時代に形作られたものです。
👻 日本の幽霊譚の主な特徴
日本の幽霊譚に登場する幽霊の多くは、以下の特徴を持っています。これは江戸時代の芸術や芸能によって確立されました。
姿かたち:
白装束(しろしょうぞく): 死者に着せる旅立ちの衣装に由来します。
長い黒髪: 生前の髪とは対照的に乱れた長い髪で、顔を覆うように描かれることが多いです。
青白い顔: 血の気のない死者の顔を表現しています。
足がない: 江戸時代の画家、**円山応挙(まるやまおうきょ)**の幽霊画に足が描かれなかったことが、現代まで続く典型的なイメージの起源とされています。
動機:
怨念・未練: 多くの場合、非業の死を遂げたり、裏切られたりしたことでこの世に怨念や未練を残し、成仏できずに現世に現れます。
特定の人物への執着: 西洋の幽霊が場所に憑くのに対し、日本の幽霊は自分を裏切った特定の人物に復讐したり、恋い焦がれたりして執着する傾向が強いです。
🎬 江戸時代に花開いた幽霊譚の文化
江戸時代には、幽霊譚は単なる民間伝承ではなく、興行として大衆に楽しまれるエンターテイメントとなりました。
1. 日本三大怪談
特に有名な以下の三つの話は「日本三大怪談」として知られ、歌舞伎や落語の定番演目となりました。これらの物語の主人公は、いずれも人に裏切られた幸薄い女性の幽霊です。
怪談名 | 作者(主な上演・創作) | 概要 |
東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん) | 四代目 鶴屋南北(歌舞伎) | 夫である民谷伊右衛門に裏切られ、毒殺されたお岩の怨霊が、伊右衛門とその周辺の人々を祟り殺す物語。 |
播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき) | 様々な形態がある(歌舞伎・落語など) | 奉公人のお菊が、家宝の皿を割った(または割らされた)罪で殺され、夜な夜な井戸から出てきて皿を数える声が聞こえる物語。 |
怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう) | 三遊亭圓朝(落語) | 亡くなった美少女お露が、下駄のカラン、コロンという音と牡丹の絵柄の灯籠を下げた姿で、恋しい男、萩原新三郎のもとに通い続ける悲恋の物語。 |
2. 百物語(ひゃくものがたり)
江戸時代に流行した怪談会で、参加者が集まり、蝋燭(ろうそく)を100本灯し、一人ずつ怪談を語り終えるたびに一本ずつ消していくという遊びです。最後の蝋燭が消えるときに本物の怪異が起こると信じられており、このブームが創作怪談の流行を後押ししました。
3. 歌舞伎の演出
歌舞伎では、幽霊をテーマにした「夏芝居(なつしばい)」が夏の風物詩となり、観客に涼を与える興行として人気でした。
宙乗り(ちゅうのり): 幽霊役の役者をワイヤーや滑車で空中に吊り下げ、舞台や客席の上を移動させる演出。
早変わり: 一瞬で醜い幽霊の姿に変身する演出などが、観客を熱狂させました。
幽霊譚は、江戸の人々の因果応報(いんがおうほう)や仏教的な死生観を背景に、愛憎や裏切りといった人間の業を描き出し、今日まで日本の文化に大きな影響を与え続けています。
「廓話(くるわばなし)」とは、江戸時代の遊廓(ゆうかく)、特に吉原を舞台とした物語や会話、あるいはそれらを題材とした文学や芸能全般を指す言葉です。
これは、江戸の町人文化を代表するジャンルの一つであり、主に遊里の風俗や遊客(ゆうかくの客)の行動、そして遊女たちが使う独特の言葉遣い(廓言葉)を題材としました。
🎭 「廓話」の主な形態
「廓話」というテーマは、様々な文芸ジャンルで扱われました。
1. 洒落本(しゃれぼん)
特徴: 廓話の代表的な文学ジャンルです。遊廓を舞台に、「通(つう)」と呼ばれる粋(いき)な遊び方を体得した遊客の振る舞いや、遊女との機知に富んだ会話を主に描いた短編小説です。
目的: 遊里における**「粋」**の美学や、遊客と遊女の洗練された駆け引きを表現することに重点が置かれました。
代表作家: 山東京伝(さんとうきょうでん)、大田南畝(おおたなんぽ)など。
2. 落語の演目
落語の演目にも、廓を舞台にしたものが多くあり、これも「廓話」と呼ばれます。
『明烏(あけがらす)』: 堅物の若旦那を吉原に連れて行き、遊びを教え込もうとする滑稽な騒動を描いた噺。
『紺屋高尾(こうやたかお)』: 染物職人が吉原の最高級遊女・高尾太夫に恋をし、努力して会いに行く人情噺。
『錦の袈裟(にしきのけさ)』: 褌(ふんどし)の代わりに袈裟を締めて吉原へ行った与太郎が、偉い坊様と間違えられてモテる滑稽譚。
3. 滑稽本(こっけいぼん)
遊里そのものを主題としたものではありませんが、『東海道中膝栗毛』のように旅の途中で遊廓に立ち寄る場面などで、廓話的な滑稽なやり取りが描写されました。
🗣️ 廓言葉(くるわことば)
廓話の重要な要素の一つが、遊女たちが使う独特の言葉遣い、**「廓言葉」**です。
特徴: 「~でありんす」「~でござんす」といった丁寧で優美な言い回しが有名です。これは、遊女が全国各地から集まっていたため、地方の訛り(なまり)を隠し、客に対して優雅で統一されたイメージを与えるために作られた人工的な言葉だとされています。
文化的影響: 廓言葉は江戸の流行語にも影響を与え、「モテる(もてなされる)」など、現代まで残っているとされる言葉もあります(諸説あり)。
💡 廓話が流行した背景
町の発展: 江戸中期以降、吉原(江戸の公認遊廓)を中心に都市文化が成熟し、遊里は単なる売買の場ではなく、社交や芸事を楽しむ、粋な遊びの場と見なされるようになりました。
経済力: 町人の経済力が向上し、遊里の風俗や文化を学ぶための読み物(洒落本など)の需要が高まりました。
「粋」の探求: 廓話は、遊里という限られた空間での複雑な人間関係や、その中で生まれる**「粋」の精神**を探求する、江戸町人たちの知的な遊びの対象でもあったと言えます。
江戸時代における梅毒(ばいどく)
江戸時代における梅毒(ばいどく)は、当時の社会に深く浸透し、人々の生活と健康に甚大な影響を与えた最も恐れられた病気の一つでした。特に遊廓(ゆうかく)を中心に蔓延し、多くの悲劇を生みました。
🦠 蔓延の状況と主な感染源
梅毒は戦国時代末期に日本に伝来したとされ、江戸時代には急速に広がりを見せました。
遊廓での大流行:
吉原をはじめとする遊廓は、梅毒の最大の感染源となりました。コンドームなどの避妊具や予防策が存在しない時代において、遊女の梅毒感染率は非常に高かったと推測されています(研究者によっては**ほぼ100%**という見解もあります)。
遊女たちは病を押して客を取り続けることを強いられ、多くの者が若くして梅毒や結核(労咳)などの病で命を落としました。吉原の遊女の平均寿命がわずか22歳程度であったという記録は、当時の過酷な状況を物語っています。
亡くなった遊女たちは、しばしば粗末に扱われ、**「投げ込み寺」**として知られる浄閑寺などに埋葬されました。
社会全体への拡大:
遊廓を訪れた武士や町人を通じて、梅毒は市中へと広がり、高位の人物を含む多くの人々が感染しました。
当時の名医であった杉田玄白の随筆にも、彼が診た患者の7割から8割が梅毒患者であったという記録が残されており、その驚異的な蔓延状況がうかがえます。
🔬 症状と治療法
症状
梅毒は、進行すると全身に様々な症状を引き起こし、特に病気が進行した後の症状は恐れられました。
髪が抜ける: 梅毒の症状の一つで、遊女の間では「鳥屋(とや)につく」(鳥の換羽になぞらえた言葉)と呼ばれました。
鼻が欠ける: 病気の進行により鼻骨が破壊され、鼻が陥没する症状は、見た目にも大きな影響を与えました。徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)も梅毒に罹患し、鼻が欠けていたという逸話が残っています。
当時の治療法
ペニシリンが発明される以前の江戸時代には、梅毒に有効な治療法は存在しませんでした。
水銀(汞)を用いた治療:
主に水銀を用いた薬が使われました。水銀には梅毒の病原体を抑える効果がわずかにあったものの、毒性が非常に強く、患者は薬の副作用(水銀中毒)にも苦しみました。
水銀による副作用で歯が抜け落ちたり、体力を著しく消耗したりすることが多かったため、当時の水銀治療は「梅毒を治すか、水銀で死ぬか」という非常に危険なものでした。
温泉療法:
病気が一時的に軽快する時期があるため、「湯治(とうじ)に救いを求める」という考えが広がり、草津温泉などが性病治癒の湯として人気を博した記録が残っています。
梅毒は、江戸時代の庶民にとって、単なる病気ではなく、重い差別や貧困、そして死に直結する「不治の病」として恐れられていました。
「瘡毒(そうどく)」とは、主に江戸時代に使われた病気の名称で、現代の**梅毒(ばいどく、Syphilis)**を指します。
この病名は、梅毒が進行して皮膚にできる**発疹(ほっしん)や潰瘍(かいよう)**を意味する「瘡(かさ)」に、「毒」の字をつけたことに由来します。
江戸時代の庶民にとって、瘡毒は結核(労咳)と並んで**最も恐れられた「不治の病」**の一つであり、社会と文化に甚大な影響を与えました。
🦠 江戸時代の瘡毒(梅毒)の状況
1. 驚異的な蔓延
梅毒は戦国時代末期頃に日本に伝来したとされ、江戸時代には性感染症として都市部を中心に大流行しました。
遊廓が温床: 吉原をはじめとする遊廓は最大の感染源となり、衛生知識や予防法がない時代であったため、遊女の梅毒感染率は非常に高かったとされます。
社会全体への拡大: 遊廓を訪れた客(武士や町人)を通じて市中に広がり、当時の医師である杉田玄白は、自身の患者の7割から8割が梅毒患者であったと記録しています。
階級を超えた感染: 徳川将軍家の人物(徳川家康の次男など)も感染していた記録があるなど、身分階級を問わず蔓延していました。
2. 深刻な症状
当時の梅毒は、進行すると非常に重い症状を引き起こしました。
鼻の欠損: 病原体が骨や軟骨を破壊することで、鼻が陥没し、顔の形が崩れる症状がよく見られました。
「鳥屋(とや)につく」: 遊女の間では、病気の進行で髪が抜け落ちる症状を、鳥の換羽になぞらえてこう呼びました。
早世の原因: 特に遊女たちは、病を押して働き続けたため、若くして命を落とす大きな原因となり、過酷な生活を象徴していました。
🧪 治療法と医学の苦闘
抗生物質のペニシリンがまだ発明されていない時代、梅毒に対する有効な治療法は限られていました。
1. 水銀を用いた治療
当時、梅毒に効果があるとされた数少ない薬物が**水銀(汞)**を主成分とするものでした。
水銀の毒性は非常に強く、患者は一時的に症状が和らぐことがあっても、水銀中毒という別の重い副作用に苦しむことになり、「梅毒で死ぬか、水銀で死ぬか」と言われるほどの危険な治療でした。
杉田玄白ら蘭方医(西洋医学)は、主にこの水銀剤をオランダから輸入して治療にあたっていました。
2. 民間・漢方療法
薬草蒸気風呂: 蘭方医の中には、オランダの知見を得て、薬草を入れた蒸気浴で発汗を促すなど、水銀中毒を避けつつ治療を試みる者もいました。
山帰来(さんきらい): ユリ科の薬草を煎じて飲むなどの民間療法も広く行われていましたが、いずれも根治には至りませんでした。
瘡毒は、医学が発達する近代まで、人々の命と生活を脅かし続けた、江戸時代における最大の公衆衛生上の問題の一つでした。
長谷川平蔵(はせがわ へいぞう)は、江戸時代中期に実在した旗本で、特に**火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためがた)という役職での活躍と、その後の人足寄場(にんそくよせば)**創設という功績で歴史に名を残しました。
現代では、池波正太郎の時代小説**『鬼平犯科帳』**の主人公として、絶大な人気を誇る人物です。
👹 実在の人物としての「鬼平」長谷川平蔵
本名は**長谷川宣以(はせがわ のぶため)**といい、通称の「平蔵」は父から継いだ名です。
青年時代の放蕩(ほうとう)
長谷川平蔵は旗本の家に生まれましたが、若い頃は**「本所の銕(てつ)」**(銕は幼名の銕三郎から)と呼ばれ、遊廓に通い詰めるなど放蕩(遊び人)生活を送っていたとされています。
しかし、この遊蕩生活で培われた市井の裏側や人間の機微を見抜く力が、後に火付盗賊改方として犯罪者を取り締まる際に役立ったとも言われています。
火付盗賊改方での活躍
40代に入った天明7年(1787年)、平蔵は江戸の治安維持を担う特殊な役職、火付盗賊改方に抜擢されます。これは放火、盗賊、賭博などを専門に取り締まる、現代の特別捜査官のような役割です。
「鬼平」の名の由来: 悪人に対しては容赦なく厳しく、迅速な捕縛に卓越した手腕を発揮したことから、庶民の間では**「鬼の平蔵」、略して「鬼平」**と呼ばれるようになりました(ただし、この愛称は小説によって広まった側面も大きい)。
「今大岡(いまおおおか)」: その一方で、庶民の暮らしや人情を理解し、公平な裁きを行ったため、名奉行として知られる**大岡忠相(おおおか ただすけ)になぞらえて「今大岡」**とも称され、江戸市民から高い人気と信頼を得ました。
💡 犯罪者更生という画期的な功績
平蔵の最大の歴史的功績は、寛政元年(1789年)に実現させた**人足寄場(にんそくよせば)**の創設と運営です。
創設の目的: 当時、江戸の治安を悪化させていた**無宿人(戸籍がなく定職を持たない浮浪者)**や、軽罪を犯した者が、刑期を終えても更生する場がなく、再び犯罪に走る例が多かったためです。
日本初の更生施設: 平蔵は、無宿人や出獄した者に大工、建具、塗物などの技術を習得させ、彼らが再び社会で働くための更生の機会を提供しました。これは、単に犯罪者を罰するだけでなく、「罪を裁くと同時に立ち直る道も示す」という、当時としては極めて画期的な施策でした。
財源の工夫: 寄場の運営費を賄うため、老中松平定信の許可を得て、幕府の公費を元手に銭相場で利益を出し、その資金を寄場にあてるという、理財に長けた一面も見せています。
長谷川平蔵は、寛政7年(1795年)に51歳で病没するまで、およそ9年間にわたって火付盗賊改役と人足寄場取扱役を兼務し、江戸の治安維持と福祉に大きな足跡を残しました。
【平蔵と定信】
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) October 5, 2025
家や仕事を失った者を社会復帰させるという「人足寄場」の具体案を考えたのは、火付盗賊改方・長谷川平蔵宣以です。
町中におこる事件を解決し庶民の人気を呼び、その評判は松平定信にまで伝わりました。
ご覧になるには👉https://t.co/qiyaXjwuPE#大河べらぼう pic.twitter.com/fJTOKDWotJ
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