戦後の希望を象徴する歌、リンゴの唄🍎【連続テレビ小説】あんぱん 第14週「幸福よ、どこにいる」(67)
戦後の希望を象徴する歌、リンゴの唄
こんにちは
猫好き父さんです
メイコちゃんも
なにやら始めそうな
そんな感じですね
あらすじ
高知新報が夕刊発行の申請をし、のぶ(今田美桜)は編集長を任された東海林(津田健次郎)と先輩記者の岩清水(倉悠貴)と共に夕刊の担当となる。一方、嵩(北村匠海)は健太郎(高橋文哉)と一緒に進駐軍から廃品回収した雑貨を売って生活をしていた。ある日、ガラクタの中にあったアメリカの雑誌を手にした嵩は、久しぶりに心が躍る。
出演
【出演】今田美桜,北村匠海,原菜乃華,高橋文哉,鳴海唯,倉悠貴,野村万蔵,古河耕史,嘉島陸,若林拓也,櫻井健人,浅田美代子
【作】中園ミホ
進駐軍とは
「進駐軍(しんちゅうぐん)」とは、第二次世界大戦後、敗戦国に派遣され、その国の占領行政や武装解除、民主化などを監督・実行した外国軍隊のことです。
特に日本において「進駐軍」という言葉が使われる場合、通常は第二次世界大戦後の連合国軍(Allied Powers)、特にその中心であったアメリカ軍を指します。正式名称は「占領軍(Occupation Forces)」ですが、日本では「進駐軍」という呼称が広く用いられました。
日本への進駐
日本への連合国軍の進駐は、1945年(昭和20年)8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の発表後、8月28日に神奈川県厚木基地に先遣隊が到着したことに始まり、9月2日に戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した後、本格化しました。
主な目的
武装解除と軍国主義の排除: 日本の軍隊を解体し、二度と侵略戦争を起こさせないための軍事力の撤廃。
民主化の推進: 軍国主義的な体制を解体し、民主的な政治・社会システムを確立するための改革(憲法改正、農地改革、財閥解体など)。
戦争犯罪人の逮捕・処罰: 極東国際軍事裁判(東京裁判)などを通じた戦争責任の追及。
占領行政の実施: 日本政府に対する指示、監視、および必要に応じた直接的な統治。
指揮系統
連合国軍の最高司令官は、アメリカのダグラス・マッカーサー元帥(後のリッジウェイ将軍、クラーク将軍)が務めました。彼の率いる**GHQ(General Headquarters / 連合国軍総司令部)**が日本の占領政策全般を指揮しました。GHQは、日本政府に対して指令を出す形で占領政策を進め、日本政府はGHQの指示を忠実に実行する形がとられました(間接統治)。
構成
進駐軍の大部分はアメリカ軍でしたが、イギリス連邦占領軍(BCOF、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどから構成)も一部地域(広島県、山口県、島根県、鳥取県、岡山県、愛媛県、高知県など)に進駐していました。ソ連軍は日本の占領には参加しませんでしたが、満州や朝鮮半島北部、北方領土の占領を行いました。
日本社会への影響
進駐軍の存在は、戦後の日本社会に多大な影響を与えました。
社会・文化の変化: アメリカ文化(ジャズ、映画、ファッション、食料品など)が流入し、日本の生活様式や価値観に大きな変化をもたらしました。
経済活動: 進駐軍関連の施設建設や物資調達は、日本の戦後復興経済に一定の刺激を与えました。
駐留軍犯罪: 一方で、一部の兵士による犯罪行為も発生し、社会問題となりました。
GIベビー: 進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたちも存在しました。
撤退とサンフランシスコ平和条約
1951年(昭和26年)9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、日本の主権が回復しました。この条約が発効した1952年(昭和27年)4月28日をもって、連合国軍による占領は終了し、進駐軍は撤退しました。しかし、同時に発効した日米安全保障条約により、アメリカ軍は「在日米軍」として引き続き日本に駐留することとなり、現在に至っています。
進駐軍は、日本の戦後史における重要な存在であり、その政策は現在の日本の政治、経済、社会、文化に深く影響を与え続けています。
NHKのど自慢
ラジオでの「NHKのど自慢」の放送が始まったのは、1946年1月19日です。
概要
この番組は、第二次世界大戦終戦後まもない時期に、戦後の混乱期に人々の心を癒し、希望を与えることを目的に企画されました。番組開始当初は「素人のど自慢」というタイトルで、現在の「NHKのど自慢」につながる国民的番組へと発展していきました。
最初はラジオ放送のみでしたが、テレビ放送が開始されてからはラジオとテレビの両方で放送され、現在も多くの人々に親しまれています。
1946年は、第二次世界大戦が終結し、日本が復興へと向かう中で、人々に希望や慰めを与えた歌が多く生まれ、よく歌われました。特に、NHKの「のど自慢素人音楽会」(現在の「NHKのど自慢」)が放送を開始したことで、ラジオを通じて多くの歌が広まりました。
この年によく歌われた代表的な歌は以下の通りです。
1. リンゴの唄(並木路子、霧島昇)
この歌は、1945年(昭和20年)に映画『そよかぜ』の主題歌として発表されましたが、1946年には爆発的なヒットとなり、戦後の希望を象徴する歌として広く親しまれました。「のど自慢」でも繰り返し歌われ、その流行に大きく貢献しました。
2. 東京の花売娘(岡晴夫)
こちらも1946年に大ヒットした曲で、戦後の東京の復興を明るく歌い上げた歌として人気を博しました。
3. かえり船(田端義夫)
終戦直後の混乱期に、故郷への帰還や肉親との再会を願う人々の心情を歌い、多くの共感を呼びました。
その他の流行歌
愛のスウィング(池真理子)
麗人の歌(霧島昇)
悲しき竹笛(奈良光枝、近江俊郎)
黒いパイプ(二葉あき子、近江俊郎)
別れても(二葉あき子)
これらの歌は、戦後の混乱と復興の中で、人々の心に寄り添い、希望を与え、あるいは悲しみを癒す役割を果たしました。特にラジオの「のど自慢」は、当時の庶民にとって身近なエンターテイメントとして、これらの流行歌を全国に広める重要な役割を担いました。
🏃♀️#きょうのあんぱん🖌
— 朝ドラ「あんぱん」公式 (@asadora_nhk) July 1, 2025
「くらばあ、何聴きゆうが?」
「のど自慢や」
ラジオから流れる楽しそうな歌声に、メイコの心は高鳴りました😊🎶#原菜乃華#朝ドラあんぱん 見逃し配信中📱https://t.co/FKuxk5oINM pic.twitter.com/XXtj0KahAr
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