戦争の後に来るもの😢【連続テレビ小説】あんぱん 第13週「サラバ 涙」(61)
戦争の後に来るもの
こんにちは
猫好き父さんです
日本は太平洋戦争に負けて
軍国主義から
民主主義に転換
それは
良かったのかもしれない
戦いが終わったことは
とても良いこと
今、起きている戦争
ロシアウクライナ戦争
イスラエルイラン戦争
これは
終わったら何が起きるの?
あらすじ
終戦から5か月が経ち、国民学校ではGHQの指導のもと軍国主義教育からの転換が図られる。のぶ(今田美桜)は病気が一向に回復しない次郎(中島歩)の見舞いに、海軍病院に通っていた。努めて明るく振る舞うのぶだったが、次郎にあることを打ち明ける。
出演
【出演】今田美桜,江口のりこ,河合優実,原菜乃華,中島歩,神野三鈴,樫尾篤紀,安藤瞳,浅田美代子,吉田鋼太郎
【作】中園ミホ
国民学校
国民学校(こくみんがっこう)は、太平洋戦争中の1941年(昭和16年)に、日本の小学校を改称して設置された学校制度です。戦時体制下における国民精神の涵養と国家総動員体制の強化を目的として導入されましたが、終戦後の1947年(昭和22年)に廃止されました。
設置の背景と目的
- 日中戦争の長期化と戦時体制の強化: 日中戦争が長期化し、太平洋戦争へと突入していく中で、日本は国家総力戦体制へと移行していきます。
- 国民精神の涵養: 軍国主義的・国家主義的な思想を国民全体に徹底し、皇国史観に基づいた国家への忠誠心を育むことが目的とされました。
- 教育の刷新: それまでの小学校教育が「西洋的」で「個人主義的」であると批判され、より「日本的」で「全体主義的」な教育への転換が求められました。
特徴
- 名称の変更:
- 従来の「小学校」が「国民学校」に改称されました。これは「国民を学校で育てる」という意味合いが強く込められていました。
- 尋常小学校(6年制)と高等小学校(2年制)が統合され、**初等科(6年)と高等科(2年)**が設置されました。初等科は義務教育でした。
- 教育目標の変更:
- 「皇国の道」に沿った国民の錬成が明確な目標とされました。
- 個人の能力を伸ばすことよりも、国家に奉仕する精神や集団行動、勤労を重んじる教育が重視されました。
- 教育内容の変更:
- 「国民科」の新設: 従来の修身、国語、国史、地理を統合した「国民科」が設けられ、皇国史観に基づいた教育が強化されました。
- 「体練科」の新設: 体育を「体練科」に改め、兵式体操や行軍、集団行動など、軍事訓練的な要素が強められました。
- **「理数科」「芸能科」「産業科」**なども設けられました。
- 勤労奉仕の重視: 農作業や工場での作業など、勤労奉仕が教育活動の一環として積極的に取り入れられました。
- 教育の画一化と統制:
- 文部省による指導要領が強化され、全国的に画一的な教育が実施されました。
- 教員は「皇国の教員」としての役割を強く求められ、軍人精神を体現する存在として位置づけられました。
終焉
太平洋戦争での日本の敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策によって、日本の教育制度は民主化されることになります。
- 1947年(昭和22年)3月、教育基本法と学校教育法が公布され、国民学校制度は廃止されました。
- 新たに**「6・3制の義務教育制度」が導入され、国民学校初等科は小学校に、国民学校高等科は中学校**へと改組されました。
国民学校は、日本の戦時教育を象徴する制度であり、その歴史は、教育が国家の思惑によってどのように利用され得るかを示す事例の一つとして語り継がれています。
GHQ
GHQとは、第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍の最高司令部、「連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)」の略称です。日本では「進駐軍」とも呼ばれました。
設置と期間
- 設置: 1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾して降伏したことにより、連合国軍の日本占領が始まり、その執行機関としてGHQが設置されました。
- 最高司令官: ダグラス・マッカーサーが連合国軍最高司令官として着任し、日本での占領政策の指揮を執りました。
- 占領期間: 1945年9月から、サンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月28日までの約7年間、GHQは日本の占領政策を実施しました。
占領の目的と政策
GHQの占領政策の主な目的は、日本が再び世界の脅威とならないようにすることと、日本を民主化することでした。具体的には、以下の二つの柱で政策を進めました。
1. 非軍事化(軍国主義の排除)
日本が二度と戦争を起こさないように、軍国主義を徹底的に排除しました。
- 軍隊の解体: 日本軍は解体され、陸海軍省は廃止されました。
- 戦争犯罪人の処罰: 東京裁判(極東国際軍事裁判)をはじめとする各種裁判で、戦争犯罪人が裁かれました。
- 公職追放: 軍人や戦時中の指導者など、軍国主義を推進したと見なされた約20万人もの人々が公職から追放されました。
2. 民主化
日本を民主主義国家として再建し、平和な国にするための様々な改革を行いました。
- 憲法改正: 大日本帝国憲法に代わり、主権在民、平和主義(戦争放棄)、基本的人権の尊重を柱とする日本国憲法が制定されました。
- 女性参政権の付与: 日本で初めて女性に選挙権が与えられ、政治参加の道が開かれました。
- 教育改革: 軍国主義的な教育を排除し、民主主義と平和の理念に基づく新しい教育制度が導入されました。現在の**「6・3・3制」**(小学校6年、中学校3年、高校3年)もこの時に確立されました。
- 財閥解体: 三井、三菱、住友、安田といった巨大財閥が解体され、経済の集中排除と競争原理の導入が図られました。
- 農地改革: 大地主から土地を強制的に買い上げ、小作人に安く売り渡すことで、自作農を創設し、農村の民主化を進めました。
- 労働改革: 労働組合の結成が奨励され、労働基本権(団結権、団体交渉権、団体行動権)が保障されました。
占領統治の実際
GHQは日本政府を直接解体するのではなく、日本政府を通じて間接的に統治を行いました。日本政府はGHQの指令を受け、それを国内で実施するという形でした。
しかし、その指示は絶大なものであり、日本政府の決定よりもGHQの決定が優先されました。日本の歴史上、これほど長期間にわたって外国の統治を受けたことはなく、日本人にとっては非常に大きな変化と試練の時代でした。
GHQの政策は、戦後の日本の社会、政治、経済、文化にきわめて大きな影響を与え、現在の日本の基盤を築くことにつながりました。
闇市(やみいち)
闇市(やみいち)は、第二次世界大戦終戦直後から日本全国に広がり、物資が極度に不足する中で、政府の統制を外れて非合法的に商品の売買が行われた市場のことです。
発生の背景
- 極度の物資不足: 終戦直後の日本は、戦争によるインフラ破壊、食料生産の激減、軍需産業から民生への転換の遅れなどにより、あらゆる物資が壊滅的に不足していました。特に食料、衣料品、生活必需品が手に入りにくい状況でした。
- インフレーション: 敗戦と経済の混乱により、貨幣価値が急落し、激しいインフレーション(物価高騰)が発生していました。
- 政府の統制と配給制度の崩壊: 戦時中から続いていた政府による物資の統制(価格統制、配給制度)は、物資不足と行政機能の麻痺により実質的に機能不全に陥っていました。公式ルートでは必要なものが手に入らない状況でした。
- 生活防衛の必要性: 人々は生きるために食料や物資をどうしても手に入れる必要があり、非合法と知りつつも闇市に頼らざるを得ない状況でした。
闇市の概要と特徴
- 場所: 都市部の駅前広場、焼け跡、空き地など、人が集まる場所で自然発生的に形成されました。特に上野、新宿、渋谷、池袋など、主要駅の周辺に大規模な闇市が形成されました。
- 主な取引品:
- 食料品: 米、砂糖、酒などの配給物資の横流し品、自家栽培の野菜、密造酒など。
- 衣料品: 軍の放出物資(払い下げ品)、進駐軍からの横流し品、自宅にあった着物や家財を加工したものなど。
- 日用品: たばこ、石鹸、燃料など、何でも手に入るものが取引されました。
- 価格: 政府統制価格とは比較にならないほどの高値で取引されました。例えば、コメ一升が公式価格の何十倍、何百倍もの価格で売買されることも珍しくありませんでした。
- 売人: 戦地からの復員兵、失業者、外国人(特に三国人と呼ばれた人々)など、様々な背景を持つ人々が商売をしていました。彼らの中には、戦後の混乱期にたくましく生き抜く者もいれば、暴力団と結びつき、大きな富を築く者もいました。
- 組織化と暴力: 闇市は当初は自然発生的でしたが、次第に暴力団などが介入し、縄張り争いや上納金の徴収など、非合法な組織化が進みました。暴力や詐欺が横行することも珍しくありませんでした。
- GHQと闇市: GHQは当初、闇市の取り締まりを日本政府に指示しましたが、占領政策の転換(ドッジ・ラインなど)や、闇市が経済活動の一端を担っている実態を認識するにつれて、その対応は変化していきました。完全に潰すことはせず、一定の黙認をする時期もありました。
闇市の役割と影響
- 生活の命綱: 物資が不足する中で、多くの国民にとって闇市は、生き延びるための食料や物資を手に入れる唯一の手段であり、文字通り「生活の命綱」でした。
- 経済活動の原点: 闇市は非合法な市場でしたが、結果的に、戦後の経済活動を再開させる上での一種の触媒となりました。物資の流通を促し、後の正規の商業活動へとつながる萌芽でもありました。
- 社会の混乱と新たな秩序: 闇市は社会の混乱を象徴する場所であり、犯罪や不正の温床にもなりましたが、同時に、既存の秩序が崩壊した中で、人々が自らの力で生き抜こうとするたくましさや、新たな経済活動の仕組みが生まれる場でもありました。
終焉
闇市は、日本の経済が復興し、正規の物資流通が確立されるにつれて徐々に姿を消していきました。特に、朝鮮戦争(1950年勃発)による特需景気で経済が好転し、物資供給が安定することで、闇市の役割は終焉を迎えました。
闇市は、戦後の日本の混乱と復興の歴史を語る上で欠かせない、象徴的な存在です。
戦災孤児
太平洋戦争後、日本には大量の戦災孤児が発生しました。彼らは戦争によって親を失い、家を失い、極度の貧困と差別に苦しみながら生き抜くことを強いられました。その数は正確には把握されていませんが、厚生省(当時)の調査では12万人以上と推計されており、実際にはそれ以上だったと言われています。
戦災孤児が発生した背景
- 空襲による親の死: アメリカ軍による日本本土への激しい空襲(特に東京大空襲など)により、多くの都市部で民間人が犠牲となり、両親や片親を失う子供たちが激増しました。
- 戦地での親の死亡: 父親が兵士として戦地で亡くなり、母親も空襲などで死亡したり、働き手がいなくなり生活困窮の果てに子供を手放したりするケースも多かったです。
- 社会の混乱と貧困: 終戦直後の日本は、食料不足、住宅不足、インフレーションなど極度の混乱と貧困状態にありました。親を失った子供たちは、自力で生きていくしかありませんでした。
戦災孤児の生活
戦災孤児たちの生活は、想像を絶するほど過酷なものでした。
- 駅や路上での生活: 多くの孤児たちは、焼け野原となった都市の駅構内や路上で生活していました。特に東京の上野駅や大阪の梅田駅などは、多数の孤児が集まる場所として知られていました。
- 「浮浪児」としての差別: 彼らは「浮浪児(ふろうじ)」と呼ばれ、窃盗や物乞いをして生き延びるしかなく、社会からは差別や偏見の目で見られることが多かったのです。
- 飢餓と病気: 満足な食事も医療も受けられず、栄養失調や結核などの病気で命を落とす子供も少なくありませんでした。冬の寒さも彼らを苦しめました。
- 集団生活: 同じ境遇の孤児たちが集まり、仲間と助け合いながら生きる「孤児集団」を形成することもよくありました。しかし、その中には、年長の子供が年下の子供たちを率いて物資調達や盗みを働くといった、一種の「ボス」のような存在が生まれることもありました。
- 暴力団との関わり: 生き抜くために、やむなく闇市に出入りするようになり、暴力団の使い走りとして利用されたり、犯罪に巻き込まれたりするケースもありました。
- 就労: 小さな体で靴磨き、新聞売り、物を運ぶなどの肉体労働に従事し、わずかなお金を稼いでいました。
保護・支援の取り組み
政府や民間団体も、戦災孤児を保護するための取り組みを開始しましたが、その規模は膨大な孤児の数に比べて十分とは言えませんでした。
- 児童保護施設: 各地に児童養護施設や孤児院が設立・再建されましたが、収容能力には限りがありました。
- 里親制度: 里親に預けられる子供もいましたが、生活苦から虐待されたり、再び路上に追い出されたりするケースもありました。
- GIベビー: 進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれた子供たちも、親から離され、孤児となるケースがありました。
戦災孤児が社会に残した影響
戦災孤児の存在は、戦後の日本社会に大きな影を落としました。彼らの多くは、成人してからも差別や偏見、トラウマに苦しみ続けました。一方で、その過酷な経験が、後の日本の経済成長を支える原動力となったという見方もあります。彼らは「生きる力」と「社会の底力」を象徴する存在でもあったのです。
現在でも、当時の戦災孤児の方々が高齢となり、自身の体験を語り継ぐ活動を行っています。彼らの証言は、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える貴重な教訓となっています。
速記(そっき、shorthand)
速記(そっき、shorthand)とは、話されている言葉を、特殊な符号や文字、略号などを用いて、肉筆で素早く記録する技術のことです。通常の文字を書き記すよりもはるかに速く書くことができるため、会議の議事録、法廷での証言、講演、インタビューなど、リアルタイムで発言を正確に記録する必要がある場面で利用されてきました。
速記の原理と種類
速記の原理は、主に以下の2つに大別されます。
- 表音式(音響速記): 話し言葉の音(発音)を忠実に符号で記録する方法です。
- 例: 「き」という音を一つの符号で表すなど、音が基本となります。
- 特徴: 発音通りに書くため、誰が聞いても同じように書けるという利点があります。
- 表意式(文字速記): 日本語の漢字やひらがなといった文字の形を簡略化して記録する方法です。
- 例: 漢字の偏や旁、ひらがなの特定の部分を簡略化したり、単語全体を一つの略号で表したりします。
- 特徴: 日本語の特性(同音異義語が多いなど)に対応しやすい場合がありますが、習得にはより多くの慣れが必要です。
実際には、これらの原理を組み合わせて開発された速記方式が多く存在します。
日本の主な速記方式
日本には、複数の速記方式が存在しますが、代表的なものとしては以下のものが挙げられます。
- 田鎖式(たくさりしき): 明治時代に田鎖綱紀によって創始された、日本で最初の実用的な速記方式です。多くの速記教育機関で採用され、日本の速記の基礎を築きました。
- 中根式(なかねしき): 中根正盛によって創始され、戦前から戦後にかけて広く普及しました。現在の速記者の中にも利用者が多い方式です。
- 参議院式・衆議院式: 国会の議事速記録を作成するために、各議院の速記者が独自に開発・採用している方式です。非常に高度な技術が求められます。
- 早稲田式(わせだしき): 早稲田大学で研究・開発された方式。
これらの方式は、それぞれ独自の符号体系、略号、書き順などを持ち、習得には専門的な訓練が必要です。速記者は、筆記用具(専用の速記ペンや鉛筆)と速記用紙(通常は罫線の入っていないものが使われる)を使って、驚異的な速さで書き進めます。
速記の用途と重要性
かつて速記は、社会の様々な場面で非常に重要な役割を担っていました。
- 国会・議会の議事録: 国会の公式な議事録は、速記者が発言を一言一句正確に記録することで作成されていました(現在は音声認識技術と併用されています)。
- 法廷での証言記録: 裁判での証人の証言を正確に記録するために速記者が用いられました。
- 会議、講演、インタビュー: 重要な会議の内容や講演、インタビューの verbatim(一字一句たがわぬ記録)が必要な場合に活用されました。
- 筆記者の能力向上: 速記を学ぶことで、集中力や聴き取り能力、そして速く正確に書く能力が格段に向上すると言われています。
現代における速記
IT技術の発展、特に音声認識技術の進歩により、速記の需要は大きく変化しました。
- 多くの場面で、音声認識技術が速記に取って代わるようになっています。
- しかし、音声認識技術では誤認識や、話し手のニュアンス、感情、言い間違いなどを正確に記録できない場合があるため、専門的な速記者の需要が完全になくなったわけではありません。
- 特に、国会や法廷など、極めて高い正確性と責任が求められる場面では、現在でも人間の速記者が重要な役割を担っています。最終的な校閲やニュアンスの補正は、人間の手によって行われることが不可欠です。
- 速記は、単なる記録技術としてだけでなく、人間の聴覚と運動能力の極限を追求する芸術的な側面も持っています。
このように、速記は時代の変化と共にその役割を変えつつも、今なお特定の分野でその価値が認められている、高度な技術と言えるでしょう。
🏃♀️#きょうのあんぱん🖌
— 朝ドラ「あんぱん」公式 (@asadora_nhk) June 23, 2025
海軍病院に入院している次郎の病気は、なかなか回復しませんでした
看病を続けるのぶは、"教師を辞めた"と次郎に告げます
「すまん。僕のせいで…」
「次郎さんのせいではありません…!」
🔻本当の理由はhttps://t.co/PFuDzl9ShU#今田美桜 #中島歩#朝ドラあんぱん pic.twitter.com/FYgzOsmDsX
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