しゃらくせぇべらぼうめ!写楽爆誕💣べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(45)その名は写楽
しゃらくせぇべらぼうめ!写楽爆誕💣
こんにちは
猫好き父さんです
というわけで
写楽爆誕●~*
あらすじ
定信(井上祐貴)らに呼び出された蔦重(横浜流星)は、傀儡好きの大名への仇討ちに手を貸すよう言われる。芝居町に出向いた蔦重は、今年は役者が通りで総踊りをする「曽我祭」をやると聞き、役者の素の顔を写した役者絵を出すことを思いつく。蔦重は、南畝(桐谷健太)や喜三二(尾美としのり)らとともにその準備を進めていくが…。一方、歌麿(染谷将太)は、自分の絵に対して何も言わない本屋に、苛立ちを感じていた…。
出演
【出演】横浜流星,染谷将太,橋本愛,桐谷健太,中村隼人,井上祐貴,津田健次郎,井上芳雄,生田斗真,原田泰造,城桧吏,中川翼,中村蒼,六平直政,橋本淳,又吉直樹,古川雄大,【語り】綾瀬はるかほか
【作】森下佳子
【音楽】ジョン・グラム
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)は、江戸時代中期に活躍した浮世絵師です。その極端に短い活動期間と、圧倒的な芸術性、そして正体不明という謎によって、浮世絵史上最も異彩を放つ存在として知られています。
🎭 謎に包まれた活動と作品の特徴
1. わずか10ヶ月の活動期間
写楽が浮世絵を発表したのは、寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)2月までのわずか約10ヶ月間にすぎません。この短期間に、彼は約140点にも上る作品を発表しました。突如として現れ、忽然と姿を消したため、「謎の絵師」と呼ばれています。
2. 革新的な「役者大首絵」
写楽の作品のほとんどは、歌舞伎役者を描いた役者絵です。その中でも特に評価が高いのが、**役者の顔を大きく描いた「大首絵(おおくびえ)」**です。
表現の鋭さ: 従来の浮世絵師が役者を美化して描いたのに対し、写楽は役者の個性、内面の感情、舞台上の一瞬の迫力を、デフォルメされた構図と独特の筆致で非常に鋭く捉えました。
写実と戯画の融合: 彼は、描く役者の醜点(アバタなど)や欠点も隠さずに描き込み、その特徴を誇張する手法を用いました。これは、写実性と戯画(カリカチュア)を見事に融合させた革新的な試みでした。
👤 正体に関する議論
写楽が活動を停止した後、彼が何者であったのか、なぜ突然消えたのかは、当時の人々にも大きな謎でした。
現在までに多くの説が提唱されていますが、定説はありません。
能役者説: 徳島藩主・蜂須賀家の能役者であった**斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)**とする説が、有力な学説の一つとされています。
他の絵師説: 葛飾北斎や歌川豊国など、同時代の著名な浮世絵師が、一時的に別名で活動していたのではないかという説もあります。
評価の変遷
写楽の作品は、そのアクの強さから、当時の大衆には必ずしも歓迎されず、活動期間が短くなった一因とされています。しかし、19世紀末にヨーロッパで再評価され、特にドイツの美術研究家ユリウス・クルトによってその芸術的価値が世界的に認められました。現在では、ゴッホやピカソといった西洋の芸術家にも影響を与えた、浮世絵の巨匠として世界的に認知されています。
曽我祭(そがまつり)は、鎌倉時代初期に起こった曽我兄弟の仇討ち(曽我五郎時致・曽我十郎祐成)の物語に由来する祭礼で、主に兄弟ゆかりの地や、彼らが討ち入りを行ったとされる富士山の裾野周辺で江戸時代を通じて盛んに行われました。
江戸時代において、この祭は単なる地域の行事としてだけでなく、幕府の治世下における仇討ちというテーマや歌舞伎の演目を通じて、庶民文化の重要な要素となっていました。
🗡️ 曽我祭の起源と意味
1. 曽我物語の流行
曽我兄弟の物語(曽我物語)は、父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を、兄の十郎と弟の五郎が富士の裾野の狩場で討ち取ったというものです。
忠孝の象徴: 江戸時代、この物語は忠義や孝行の美談として武士や庶民に広く受け入れられました。
2. 祭りの中心地
曽我兄弟ゆかりの地、特に箱根権現(現在の箱根神社)や、彼らが育った相模国(神奈川県)の曽我地域などで、兄弟の霊を慰める祭礼が執り行われました。
開催時期: 曽我兄弟が仇討ちを行った日(旧暦5月28日)にちなみ、5月頃に行われることが多かったとされています。
🎭 江戸時代の曽我祭の特徴
江戸時代において、曽我祭は単に現地で行われる祭礼に留まらず、庶民文化の中で年中行事の一つとして楽しまれました。
1. 歌舞伎との結びつき
曽我狂言: 曽我兄弟の物語を題材とした狂言(劇)は、江戸の歌舞伎において、**正月興行の「一番狂言」**として上演されるのが恒例でした。
役者の晴れ舞台: 人気役者が曽我兄弟を演じることは最高の栄誉とされ、庶民は劇場で曽我兄弟の仇討ちのドラマを楽しみました。これにより、祭の時期でなくても、年中を通じて曽我物語が身近にありました。
2. 浮世絵による広がり
錦絵: 歌舞伎の人気演目として上演されると、その舞台風景や、曽我兄弟に扮した役者の姿が**浮世絵(錦絵)**として大量に制作されました。
視覚的な共有: 江戸の庶民は、浮世絵を通じて、曽我兄弟の勇姿や、物語の舞台である富士の裾野の壮大な景色を視覚的に共有し、祭の雰囲気を追体験しました。
このように、江戸時代の曽我祭は、実際の地域の祭礼だけでなく、歌舞伎や浮世絵というメディアを通じて、庶民に強く浸透した**「文化的な祭礼」**としての側面も持っていたと言えます。
曽我兄弟の仇討ちに由来する「曽我祭」は、その起源からして特定の地域や神社に結びついて行われる祭礼が中心でしたが、江戸の街中では祭礼そのものとしてではなく、「曽我狂言」の上演や浮世絵といった文化的な形で年中行事として楽しまれていました。
実際の祭礼が江戸の市中で大規模に行われた記録は稀ですが、類似の「練り物」(仮装行列)などは存在しました。
🎭 実際の祭礼と文化的な享受
1. ゆかりの地での祭礼(相模・富士)
実際の曽我祭は、主に以下のゆかりの地で、供養や慰霊を目的として行われました。これらが**「曽我祭」の原型**です。
神奈川県小田原市(旧曽我荘): 兄弟の旧居がある地域では、現在も地元の祭りとして曽我兄弟を偲ぶ祭礼が行われています。
箱根権現(箱根神社): 兄弟の信仰の篤かった神社で、江戸時代を通じて祭礼が行われました。
静岡県富士宮市(富士の裾野): 仇討ちの舞台に近い地域でも、関連の祭礼が行われました。
2. 江戸市中での「文化的な祭」
江戸の市中においては、曽我兄弟の物語は文化的な年中行事として定着していました。
歌舞伎の曽我狂言:
江戸の庶民は、正月興行として上演される**「曽我狂言」**を最大の楽しみとしました。劇場が曽我物語の熱気に包まれることは、一種の「都市の祭典」のようなものでした。
曽我狂言の行列:
一部の歌舞伎役者が、劇場の興行に際して派手な衣装を纏って町中を練り歩く(お練り)こともありましたが、これは祭りというよりも芝居の宣伝としての意味合いが強かったです。
このように、江戸の街中では、地域で特定の神仏を祀る祭礼としてではなく、大衆芸能を通じて曽我物語を楽しむという形で、年中行事として定着していたと言えます。
第45回「その名は写楽」
— 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk) November 22, 2025
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放送中は、ドラマの設定や用語を解説する #べらぼうナビ を投稿しています。
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