くじらのように、余すことなく🐋【連続テレビ小説】あんぱん 第15週「いざ!東京」(72)
くじらのように、余すことなく
こんにちは
猫好き父さんです
くじらのように、余すことなく
と、のぶは普通に言ってますが
昔はくじらは食料でかつ
いろいろ活用法があり
高知県の重要な産業であった
というのが背景にある
わけで
あらすじ
夜遅くに高知新報に連れてこられた嵩(北村匠海)は、言われるがまま記事に合う挿絵を描くことに。締め切りが迫るなか夢中で絵を描く嵩を、のぶ(今田美桜)は陰から見守る。無事に描き上げた嵩は、高知新報に採用される。そしてのぶは、『月刊くじら』創刊号の発刊に向け大忙しの日々を送る。順調に記事が揃っていく中、入稿日にまさかの事態が。うろたえるのぶたちに対し、東海林(津田健次郎)の目がきらりと光り…。
出演
【出演】今田美桜,北村匠海,原菜乃華,鳴海唯,倉悠貴,野村万蔵,古河耕史,嘉島陸,若林拓也,阿久津将真,根本葵空,関根咲奈
【作】中園ミホ
くじらは捨てるところがない
クジラが「捨てるところがない」と言われるのは、古くから捕鯨を行ってきた地域において、その巨大な体のあらゆる部分を生活に役立ててきた歴史があるからです。これは、食料が乏しかった時代において、非常に効率的で無駄のない資源利用の方法でした。
クジラの各部位と利用法
クジラは、単に肉として食べられるだけでなく、その脂身から骨、内臓、ひげに至るまで、様々な形で利用されてきました。
食料としての利用:
肉: 赤身肉は刺身、竜田揚げ、煮込みなど様々な料理に利用され、高タンパクで栄養価の高い食料源でした。
畝須(うねす): 鯨の下顎から腹にかけての肉で、脂と赤身が層になっています。ベーコンなどに加工され、独特の風味と食感が珍重されました。
尾の身(おのじ): 尾びれの付け根の部分で、特に高級とされ、刺身などで食べられます。
さえずり: 舌の部分で、煮込みや珍味として利用されます。
百尋(ひゃくひろ): 小腸の部分で、茹でて酢味噌和えなどにします。
胃袋・肝臓など: 内臓も工夫して食用にされました。
油(鯨油)としての利用:
照明: 明治時代以前は、行灯(あんどん)や提灯(ちょうちん)の燃料として使われ、重要な光源でした。
機械油: 機械の潤滑油として利用されました。
石鹸・マーガリン: 近代以降は、石鹸やマーガリン、化粧品の原料としても活用されました。
農薬: 害虫駆除のための油としても使われました。
生活用品・加工品としての利用:
ひげ(鯨ひげ): クジラの口にある硬い板状の器官です。弾力性と強度があり、かつては和傘の骨、釣竿、文房具(しおり)、弓、甲冑(かっちゅう)の部品、洗濯ばさみ、女性の下着(コルセット)の芯など、様々な日用品や工芸品の材料として重宝されました。
骨: 肥料(骨粉)、工芸品、刀の柄(つか)などにも利用されました。
皮: 皮革製品に加工されました。
歯: 装飾品や印材などに使われました。
なぜ「捨てるところがない」のか?
このようにクジラのあらゆる部位が余すところなく利用された背景には、以下の理由があります。
食料・資源の確保: 日本では、肉食が制限されていた時期がある中で、クジラは貴重な動物性タンパク源であり、油や骨、ひげといった素材も生活に不可欠な資源でした。
敬意と感謝: 命をいただく動物に対する敬意と、その恵みを無駄にしないという思想が根底にありました。漁師たちは、捕獲したクジラの死骸を陸に引き上げると、感謝の意を込めて供養を行い、その恵みを余すことなく活用しようと努めました。
経済性: 捕鯨には多大な労力と費用がかかるため、最大限に利用することで経済的な効率を高める必要がありました。
クジラが「捨てるところがない」と言われるのは、このような歴史的背景と、人々の知恵と工夫、そして命に対する感謝の念が結びついた結果と言えるでしょう。
日本の捕鯨の歴史
日本の捕鯨の歴史は非常に長く、古くは縄文時代にまで遡ると言われています。食料源としてだけでなく、生活資材の供給源としても日本の文化や経済に深く根ざしてきました。その歴史は、漁法の進化、国際的な状況の変化、そして現代における論争へと続いています。
1. 黎明期(縄文時代〜中世)
縄文時代: 遺跡からはクジラの骨が発見されており、漂着したクジラを利用していたと考えられています。
弥生時代〜古墳時代: 沿岸で小型クジラを捕獲していた証拠が見られます。
平安時代〜室町時代: 文献にクジラ肉の利用が記されるようになります。
2. 発展期(江戸時代)
江戸時代に入ると、日本の捕鯨は飛躍的に発展し、特に組織的な捕鯨が確立されます。
突取法(つきとりほう): 陸から沖合に出て、銛(もり)を打ち込みクジラを捕獲する漁法。
網取法(あみとりほう)の確立(17世紀初頭):
紀州(現在の和歌山県)の**太地(たいじ)や土佐(現在の高知県)の室戸(むろと)**などで発展しました。
これは、多数の船でクジラを追い込み、大きな網で捕獲するという画期的な漁法でした。網で囲い込んだクジラを銛で突いて仕留める方法で、安全性と捕獲効率が向上しました。
この網取法により、大規模な捕鯨集団が形成され、鯨肉は一般庶民の食卓にも広まりました。
資源の多角的利用: この時代には、クジラの肉はもちろん、油(灯油、肥料、機械油など)、骨(肥料、工芸品)、ひげ(日用品、工芸品)など、文字通り「捨てる部分がない」ほどに利用されるようになり、地域の経済を支えました。
3. 近代化と国際化(明治時代〜第二次世界大戦終結まで)
明治時代以降、欧米の捕鯨技術が導入され、日本の捕鯨は近代化・大規模化します。
ノルウェー式捕鯨の導入(20世紀初頭): ノルウェーから近代的な捕鯨砲と蒸気船を導入し、沖合での大型クジラの捕獲が可能になりました。
南氷洋捕鯨の開始(1930年代): 第二次世界大戦前には、はるか南氷洋にまで出向いて捕鯨を行うようになり、日本の食料供給に大きな役割を果たすようになります。
4. 戦後の復興と隆盛(第二次世界大戦後〜1980年代)
戦後、食料不足の中で、鯨肉は貴重なタンパク源として国民の食生活を支えました。
学校給食での提供: 多くの学校給食で鯨肉が提供され、日本人の食卓に定着しました。
最盛期: 1960年代には、日本の鯨肉消費はピークを迎え、南氷洋での捕鯨も活発に行われました。
5. 国際的な規制と捕鯨中止(1980年代〜2019年)
国際捕鯨委員会(IWC)の設立(1946年): クジラの資源管理を目的として設立されました。
商業捕鯨モラトリアム(1982年採択、1986年発効): IWC総会で、クジラ資源保護のため商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)が採択され、1986年に発効しました。
日本の対応: 日本はモラトリアムに反対しつつも、科学調査を目的とした調査捕鯨(南極海および北西太平洋)に移行しました。これは、将来的な商業捕鯨再開の可能性を探るための活動でした。
国際社会からの批判: 調査捕鯨に対し、捕鯨反対国(特にオーストラリア、ニュージーランド、アメリカなど)からは、「実質的な商業捕鯨ではないか」という強い批判が寄せられ、国際司法裁判所(ICJ)での訴訟に発展するなどの外交問題となりました。
6. IWC脱退と商業捕鯨再開(2019年〜現在)
長期にわたる議論と国際的な対立の結果、日本は大きな決断を下します。
IWCからの脱退表明(2018年12月): 日本は、商業捕鯨再開の見通しが立たないIWCの現状に不満を表明し、IWCからの脱退を通告しました。
IWC脱退と商業捕鯨の再開(2019年7月1日): IWCを脱退したことで、国際捕鯨条約の適用外となり、日本の排他的経済水域(EEZ)内および日本の領海に限定して商業捕鯨を再開しました。 南極海や公海での商業捕鯨は行っていません。
現在の状況: 現在、日本国内の限られた海域で、ミンククジラ、イワシクジラ、ニタリクジラなどを対象に商業捕鯨が行われています。捕獲頭数は科学的根拠に基づき厳しく管理されています。
日本の捕鯨の歴史は、食文化、産業、そして国際関係の変遷を映し出す複雑なものであり、現在もなお世界的な議論の対象となっています。
土佐捕鯨
高知県は、日本の捕鯨の歴史において、和歌山県太地と並び称されるほど重要な貢献をしてきました。特に土佐捕鯨として知られるその伝統は、日本の捕鯨技術の発展に大きく寄与しました。
1. 土佐捕鯨の発展と「網取法」の確立
高知県における組織的な捕鯨は、江戸時代初期に発展しました。特に、**土佐藩の室戸(むろと)**は、紀州太地と並ぶ捕鯨の一大拠点として栄えました。
網取法(あみとりほう)の確立:
紀州太地で発展した網取法は、土佐でも独自に発展しました。これは、複数の船でクジラを沖合から湾や入り江に追い込み、大型の網で囲い込んで捕獲するという画期的な漁法でした。
この漁法は、それまでの「突取法(つきとりほう)」に比べて、より安全で効率的に大型のクジラを捕獲することを可能にしました。
網取法は、多くの人員と船、そして高度な連携を必要とする大規模な共同作業であり、土佐の漁師たちの組織力と技術力の高さを物語っています。
捕鯨組織「鯨組(くじらぐみ)」の形成:
網取法を効率的に行うため、土佐では「鯨組」と呼ばれる専門の捕鯨組織が形成されました。鯨組は、捕鯨船の建造、漁具の準備、捕獲後の解体・加工、販売までを一貫して行い、地域の経済を大きく支えました。
鯨組には、鯨を追い込む「勢子船(せこぶね)」、銛を打つ「羽指船(はざしぶね)」、網を張る「網船(あみぶね)」など、様々な役割の船と専門の漁師たちがいました。
2. クジラの多角的利用と地域経済への貢献
捕獲されたクジラは、肉として食されるだけでなく、その体のあらゆる部分が余すところなく利用され、地域社会の生活と経済に深く貢献しました。
食料源: 鯨肉は、貴重な動物性タンパク源として、土佐の人々の食生活を豊かにしました。
鯨油: 灯火用の油(行灯の燃料)、肥料、機械油、防水材など、多岐にわたる用途で利用され、重要な産業資源でした。
加工品: 鯨ひげは和傘の骨や工芸品、骨は肥料などに加工され、生活用品や特産品として流通しました。
3. 捕鯨文化の継承
高知県では、捕鯨が単なる産業としてだけでなく、地域に根ざした文化としても継承されてきました。
鯨唄(くじらうた): 捕鯨作業の際に歌われた労働歌や、捕獲を祝う歌などが伝えられています。
鯨料理: 伝統的な鯨料理が今も一部地域で受け継がれています。
祭りや行事: 捕鯨に関連する祭りや行事が、地域の歴史や文化として残っている場所もあります。
高知県、特に室戸の捕鯨は、日本の捕鯨史における網取法の発展と組織的な捕鯨の確立に大きく貢献し、地域の経済と文化を支える重要な役割を果たしました。その技術と伝統は、日本の捕鯨文化の礎の一つとなっています。
🏃♀️#きょうのあんぱん🖌
— 朝ドラ「あんぱん」公式 (@asadora_nhk) July 8, 2025
『月刊くじら』の発刊に向け、大忙しののぶたち
校了まであと少しとなりました
発行が近づき、岩清水は雑誌の売れ行きが不安のようで…
🔻のぶは『月刊くじら』のテーマと由来について話し…https://t.co/ssKGkgBA3c#今田美桜 #津田健次郎 #倉悠貴#朝ドラあんぱん pic.twitter.com/vUnjHyyeZ2
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